後期授業終了

今日で後期の授業期間が終了した.
特に年が明けてから忙しい日々が続き,
Blogもあまり書けなかった.
 
あと,期末試験の実施と成績処理が終われば
年度の教育の仕事も終わりである.
 
大学の教員が「忙しい」と言っても説得力が無いが,
私の場合は,事務系管理職を兼務している関係上
本当に忙しかった.
(といっても一般企業並みだと思うが....)
 
手前味噌で失礼な発言かもしれないが,
これからは大学の教員も組織運営に実務レベルで
積極的に参加しないといけないのだろう.
 
本来のことを言えば,大学は研究活動をベースに
教育を行うところであり,研究活動にもっと力を
入れたいのだが,この年度を振り返って見ると,
研究活動に十分に力を注ぐことができたとは
言いがたい.
 
入試偏差値が高い一部の大学を除いて,
これからの大学は「教員の研究活動」よりも
「学生の職業訓練」に力を入れなければならないのだろう.
 
大学でも二極化が進むと最近言われ始めているが,
単なる「高偏差値校vs低偏差値校」ということでは
なくて,「学術大学vs職業訓練大学」という風に
とらえてそれぞれの大学が中身を整備する時代に
なるのだと思う.
 
(ただ私は,来年度はもっと研究に力を注ぎたい.)

大学の改革の方法?(3)

今回も「大学職員」についての記述をしたい.
 
教員はあくまで舞台俳優であり,
組織の運用と経営を行うのは職員である.
これが私の基本的な考え方である.
 
目的論的かつ効果的に業務を遂行できる事務組織とは
どのようなものか.
大学の事務組織を構築するという思考実験をしてみよう.
 
まず避けねばならないこと.
それは,職員が煩雑な事務作業に埋没し,
疲弊し,高みから業務を眺めることができなく
なること.
 
これを回避するには,事務システムの徹底した
電子化が必須である.幸いにも最近では学校経営の
ためのシステムソリューションがいくつか販売されており,
それらの導入により,学籍,成績,財務の情報が
一括管理できるようになってきている.
 
情報の統合的管理がもたらすものとして,
全体が見渡しやすくなるというだけでなく,
必然的な人員配置ができるようになるという点が
大きい.
 
事務作業に埋没してしまうスタイルの運用をすると,
単に手が足りないという理由だけで事務作業員を
採用してしまう.
 
これが人件費を不必要に増大させる最大の原因であり,
情報システム導入による業務全体の鳥瞰により
解決したいところである.
 
業務が見渡せる環境があれば,事務組織の最適化が
できる.
事務組織を「経営層」と「作業層」の2つに
分け,経営層の職員が大学運営に関する高位の判断
を行う.
 

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軽視されがちな大学の事務組織に
力を持たせることができると思うが,いかがなものか.

正月行事

毎年,当然のごとく正月を迎える.
ともすれば,この繰り返しが無限に続くような
錯覚を持ちやすい.
 
気がつけば,私も平均寿命の半分を過ぎている.
考えてみると,これから正月を迎える回数も
そう多くはないのである.
 
家族と過ごす時間.
おいしい食べ物を食べる回数.
好きな音楽を聞く回数.
感動的な書物を読む量.
出会う人の数.
 
それらがすべて限られている.
そしてそれらの楽しみは,いずれ必ず終わる.
すべて....
 
これを暗いイメージとしてとらえるのは良くない.
限られた楽しみだからこそ,一つ一つの機会を
大切にして感謝しないといけないのだ.
 
ある日突然,「余命3ヶ月です...」
などといわれても取り乱してはいけない.
 
限られたスペースのキャンバスに
できるだけ良い絵を描いてやろう.
 
人生とはそういうものだと思う.
 
そのキャンバスの大小は人によって違うが,
とにかくキャンバスが与えられていることは
恵みに違いない.
 

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子供の頃,TVアニメの「一休さん」の中で,
一休さんが正月早々,どくろを乗せた杖をついて
「ご用心なさ〜い」と言いながら町を歩き,
群衆から石を投げつけられているシーンをみた.
それを思い出し,こんなことを考えてしまった.
 
自分の人生の有限性について考える.
これから正月行事にしようと思う.
 
(別に大病を患ったわけではありません.)

大学の改革の方法?(2)

「大学職員の就労スタイル」
 
大学職員の重要性は理解されにくい.
 
以前のBlogにも書いたが,「大学職員」と聞くと
「お役所的な事務作業員」というのが
一般的に想起されるイメージであろう.
 
実際のところ,事務職員は上司からの
命令を受けて作業を行うのが業務の基本スタイルであり,
更に言うと,命令以外のことはやってはいけない.
 
多くの大学の多くの教員が事務職員に対して
「お役所的だ」とか「積極性がない」という意見を
持っているようだが,それは仕方が無いことであり,
そのような発言を個々の事務職員に対して行うのは
全く不適切である.
 
実際,教育と研究の内容に直接携わる形で
職員が業務をするのは難しい.
そのような現状が,先のような教員の不満の
原因だと思う.
 
このあたりの問題を解決するには
「お役所的」に縛られるだけの職員の就労スタイル
を変える必要があるのだと思う.
 
もちろん,指示に従って機械的に事務作業をする
部分は絶対に必要であり,それを蔑んではならないが,
それとは別の形で,教育と研究の内容に密着した部分の
事務作業が必要になる.
 
教育と研究の内容に直接踏み込んでゆける人材とは
どのようなものか.
 
通常の形態による「事務職の公募」では適切な
人材はまず集まらない.
「研究助手」の職種で,教員志望の人材を任期付きで
多数登用して教員サイドの事務を全面的に行う
というのはどうだろう.
 
もちろんそのような職種には,勉学の自由を与える.
具体的には,大学院の後期課程(博士課程)に通学
しながら,博士号の取得を目指してもらう.
 
将来,大学を背負ってたつ人材の育成になると
思うがどうだろう.

元旦

今年の元旦は,例年の元旦とちょっと違う感じがした.
配達されてきた年賀状の量を見てそう思った.
例年に比べてかなり減っている....
 
昨年からの個人情報保護条例により,
住所情報の取り扱いに神経を使わねばならなくなり,
全国的に郵便物の送受がちょっとおっくうに
なっているのではないか.そんな感じがしたわけである.
 
私個人としては,大量の年賀状のやりとりは
あまり良いことだとは思わない.
といいながら,実情としては,これまでも毎年
百数十通の年賀状を送ってきたが....
(結局郵便関係者を儲けさせるだけである.)
 
今年もいろんな変化が起こるのだろうと思う.
 
「あけましておめでとうございます.」

大学の改革の方法?

「職員による教員の評価」
 
どこの大学でも難しいテーマとして,
「教員と職員が仲良くする」
というのがある.
 
大学教員というのは,ある分野の専門家であり,
とてもプライドが高い.
 
専門性というのは尊大さの根拠には
決してなり得ないのだが,
このあたりの勘違いが基本として
存在しているようである.
 
そこで提案.
人事や教務に携わる職員に,
「教員の番付け」
を作らせる業務を課すのはどうか.
 
番付け評価のポイントは次の通り.
 
●教員が所属する学会の調査
 当該教員が所属する学会の数とそれぞれのレベル
 を調べ上げ,それら学会に提出した論文の
 リストアップを行い.データベース化する.
 
●執筆した書物の調査
 当該教員が執筆して出版した書物をリストアップし
 販売部数などの情報を調べてデータベース化する.
 
●社会活動の調査
 当該教員の学外講演などの状況を調べ上げ,
 データベース化する.
 マスコミへの出演もこれに含める.
 
●発明・発見の状況の調査
 同じくデータベース化する.
 
もちろんこれらのことは,今でもさまざまな形で
調査されているが,重要な点は,「番付け業務」
を業務項目として職員にやらせるということである.
番付けデータベースをWebを介して学内外に公開し,
そして職員の職責として論評をさせる.....
 
「今年の教員トップ10」なんてやると面白い
 
これを行うと,大学の業務に対する職員の理解が
進み,意識形成に役立つと思うのだが....
 
そして教員を適正に評価することで,職員は
教員に対して無意味に恐縮しなくてすむと思う.
(もちろん教員のレベル査定に直結する.)
 
 
いかがなものか?
 
(つづく)

大学の改革の難しさ(4)

ここのところ連続して,大学改革の問題点について
書いて見たが,振り返って見ると「改善策」がほとんど
見当たらない状況である.
 
もちろん私も,経営に関しては完全な素人である
教員の1人であり,現実的に有効な経営改善の策を
編み出すことができないというのが
正直なところである.
 
本当は,大学に特化した形の経営学を,
経営学の専門家がまじめに考えないと
答えなど出ないと思うが,
それではあまりにつまらないので
 
「こんなこといいな〜」
「できたらいいな〜」
 
という観点で,以後のBlogに書き綴って見る.
ドラえもんの主題歌みたいである.)