大学の改革の難しさ(2)

以前,http://nice55.ameblo.jp/ のnice55先生と意見交換を
させていただいたが,大学教員の勤務評価は非常に難しい
というのが共通認識である.
 
自社の業績評価が正しくできていない会社というのは
経営が危うい会社であるというのは常識であるが,
その意味では,すべての大学はとても危うい経営をしている
ことになる.
 
いったい何を基準にして大学教員の評価を行えばよいのか?
 
これだけたくさんの大学が設立されているのに,
組織としての大学の内容は一般の人々には
あまり知られていない.
 
世間一般の人々は,せいぜいドラマの「白い巨塔」を見て,
派閥関係や,贈収賄の醜態を目にする程度だと思うが,
大学教員の品質を理解するには,
もっと別の視点がたくさん必要である.
 
大学教員の業務はそもそも「教育」と「研究」である.
したがって,単に有名大学を卒業しているだけでは
何の評価にもならない.
 
研究業績の評価は意外にも簡単である.
論文執筆を見れば研究者としてのレベルがわかるからである.
所属している学会のレベルと,そこで受理された論文の数が
その研究者の評価となる.
 
それよりも難しいのが「その教員の教育活動の成果」である.
最近はどこの大学でも学生にアンケートをとったり
意見を求めたりして,自分の大学の教育の質を調べようと
しているが,学生から取れる情報はせいぜい,
「教員の勤務姿勢と態度」くらいである.
 
「やさしい先生だ〜♪」とか「授業が楽しい」というのは
評価でも何でもない.
 
以前のブログにも書いたが,教育の成果は
ずっと後に現れる「社会からの評価」であり,
品質の検証が絶望的に難しい.
したがって,日常的な意味での教育の評価は
教員の主観にたよるほかない.なんとも頼りない......
 
大学教員の評価として重要な他の要素に「社会活動」がある.
方向性のある意見をマスメディアで頻繁に発信したり,
重要な意識の啓蒙をしている教員は
社会からの評価や批判を受け,文化的活動を行っている
ことになる.
 
しかし,教育活動の評価は難しい.
大学改革の大きな壁の1つである.